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2015年12月15日 (火)

お産の痛み

みなさんこんにちは。

おしか助産院は、お産のない予定だった11月に12月上旬の予定日の方達が出産し、他の12月の予定日の方達も12月入って次々と出産されたので、ここしばらくバタバタでした。

はぁー。
いつもこんな感じだと活気あっていいんですがね。
助産院のお産に対する認知度が、もっともっと向上するといいなぁ。

ところで、最近ずーっと考えている‘お産の痛み’について、今日はちょっと語りたいと思います。

少し前に、とある産科医がインタビューでこんなこと言ってました。
「出産の痛みを我慢してこそ母性愛が芽生えるなんて根性論は都市伝説に過ぎない。痛みなんて無いにこしたことはないのだから無痛分娩はとても良い選択である。」
いつものことですが、この文章はそのままではなく要約です。

このドクターのインタビューを読んでから、私の心の中でずーっと何かがひっかかってました。
本当に、お産の痛みは不要なものなんだろうか?
じゃあ、なぜ出産には痛みが伴うのだろう?
ウミガメだって泣いて卵産むのに‼︎
↑あっ、これはジョーダン。ウミガメの涙は陸地に上がっての産卵で、目が乾燥するのを避ける為の涙と聞いたことあります。
人は苦しくても山に登りたがるのは何故?
じゃあ、医学部受験の為に苦しい受験勉強をしてきたドクター達はそこから何も得なかった?
・・・だんだん趣旨がズレてきました。

私は、自然がなせる営みに不要なものなどないと思っています。
人の感情も五感も、意味があってのことでその意味を考えながら受け入れることで人は何かを得るのだと思うのです。

でも、確かにお産の痛みは尋常じゃないし無くても産めるし無痛分娩でも母性愛は育まれます。

私は、お産の痛みを自然のままに受け入れることって、根性論云々じゃないと思うんです。

12月に出産した初産婦さんも、とってもツライ痛みを乗り越えてくれました。

もちろん、その痛みを乗り越えたことで芽生える自信もあるし達成感もあるし、それ故のベビーに対する愛着形成もあります。
根性論云々ではなく、これは本来人に備わった自然な感情なのではないでしょうか?
例えば帝王切開での分娩だった場合も、それを判断するまでの葛藤や陣痛、そして術後の傷の痛み。
そういうものを乗り越えて命がけで手に入れた小さな命だからこその大切さってあると思うのです。

もちろん、無痛分娩が医学的に必要な方はいるのだと思います。
痛みに対しての恐怖が強すぎて分娩が困難であったり、足腰に何かトラブルがあって、通常よりも分娩時の痛みが増すと予測される方とか・・。
それを否定はしませんし、そういう方が母性愛が芽生えないと言うつもりはありません。

しかし、分娩時の痛みを不要とはどうしても思えないのです。

母性愛の芽生えとかの精神的な問題だけではなく、例えば私はお産の時に産婦さんの痛み方から進行状況を把握したり、子宮口の開きや赤ちゃんの下降と産婦さんの痛みの訴えが妥当かどうかで異常の早期発見をしたりするのですが、そういう意味からも産婦さんの痛みにちゃんと向き合うって大事なことだと思うのです。

おしか助産院で出産した方のほとんどが、痛みが増すと私が「そうそう、いい顔になってきたね。そういう顔にならなくちゃ産まれないよー」って、ニコニコして言うのを聞いてると思います。
私にとっては産婦さんの痛そうなお顔は、赤ちゃんを産み出そうとする‘母親’の特別なお顔なんです。

私は、医療者としてそういう正常な痛みを訴えるお母さん達から逃げたくはないし、その痛みの意味を常に考え全身全霊でお母さんの痛みを感じることで、見えてくるものもあると思っています。

助産院では、決して行うことのない無痛分娩。
その是非は私が考えることでもないのですが、やっぱりお産の痛み不要論には少し反発を覚える自分がいます。

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