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2011年12月31日 (土)

良いお年を~

みなさんこんにちは。

みなさんからのたくさんのおめでとう、ありがとうございます。

今日で今年最後です。
kohalifeさん、まだお産にはなりそうにないかな?
赤ちゃんが生まれたい日がきっとあるんだね。
優しくその時を待ってあげられるといいね。
待ってあげようね。

私ね、ここで今年最後に一つ謝らなくちゃならないことあります。
・・・って言っても、きっと本来このブログ読んでくれてる方にはあまり関係ないことかもしれません。

最近ね、お産が少しだけ増えました。
増えたと言っても、小さな助産院ですので私一人で相変わらず運営しています。

ところで、お産ていつ始まるかわからないでしょ?
そしてお産が始まってしまえば、私は命と真剣勝負で向き合うことになります。
もちろんお産が終わってもその親子が無事退院するまでは24時間体制で助産師として気を抜けない日々です。
ましてや、赤ちゃんがちょっと小さかったりお乳が出にくかったりしたらなおさら緊張の日々です。
また、お産じゃなくても退院した赤ちゃんのことや通院中のママのことなんかで私は365日24時間体制で相談を受けます。
お産・妊婦健診・赤ちゃん健診・退院後の家庭訪問・入院中のお母さんと赤ちゃんのケア・お食事の用意・買い出し・色々な事務手続き・・全て助産師は私一人ですので一人でこなします。
それが私の毎日です。

大きな病院で働いていた時、勤務交代と共に妊婦さんや産後のお母様方や赤ちゃんとの関わりが途切れてゆく虚しさを感じていた私にとって、今の状態は本当にやりたかったことなんです。
妊婦さんの時からずっと関わってきた方のお産・育児・そしてその後も・・ずっと関わっていけるというのは、私は助産師として理想的な関わり方だと思っています。

しかし、それとは別に他院で出産された方からの電話相談や母乳ケアの依頼を受けることも多々あります。
今年は、そこそこ忙しい時が多くそんなお電話をいただいてもしっかりと対応できなかったかもしれません。
そのことをこの場を借りて謝りたいと思います。

助産師として、全ての方に心を配らなくてはならないのかもしれません。
しかし、妊娠経過も出産経過も入院中の経過も全てわからない方の電話相談はなかなか良いアドバイスができません。
ましてやお乳の相談は、本当に難しいのです。
お乳は、出産直後からの関わりがすごく大切です。
退院後数カ月たってから関わるには時間が必要です。
その時間を私は確保できないことが多いです。
そのような方には私は母乳のみで開業されている助産師を紹介させていただきます。
おしか助産院にお電話していただいたにも関わらずです。
本当にごめんなさい。

残念ながら、私が24時間365日体制で対応できるのは、やはりおしか助産院に通われている妊婦さんと母子が限度です。

出産される病院を選ぶとき、24時間365日体制で妊婦さんや産後の母子をバックアップしてくれるのか・・・?そういうこともちゃんと聞いてみて下さい。
それが無理なら、どこに相談すれば解決できるのか・・・?出産前に調べている方はどのくらいいるのでしょう。

出産は産めば終わりの出来事ではありません。
産んだ後、どのように育児をしていくのか。
ちゃんとイメージして準備をしておいて下さい。
出産はゴールではなくスタートです。

これから出産される皆さまが良い育児のスタートをきれるよう、願ってやみません。

それでは皆さま良いお年を。
来年もこのブログに遊びにきてくださいね。
もちろん、リアルに助産院にも遊びに来て下さいね。

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2011年12月23日 (金)

久々に普通の話題で・・・

みなさんこんにちは。

はるママさん、今度健診でお会いできるの楽しみです。
もう1年なんだね。
そういえば、去年の今頃は忙しかったsweat01
新居のこともまた聞かせて下さいね。
そしてphatgirlさん、コメントありがとう!
では、3億円当たったら遠慮なく甘えさせていただきますねsmile
私も宝くじ買ってみようかなぁ?

ところで今回は久しぶりに別ネタです。

今日、12月23日はオトメちゃんの20回目のお誕生日です。
でも、それは私が“ママ”と呼ばれるようになってからの20年の区切りでもあります。

20年間・・・色んなことがありました。

妊娠がわかった時の喜びは今でも忘れません。
そしてそれと同時に(でき婚なので・・・sweat01)たくさんの不安やそれからのバタバタも今となっては懐かしい思い出です。
妊婦の私とぶつかりそうになった子供に
「おばさんにぶつからないでね」
と注意していた通りすがりのお母さん!あの時はさすがにショックでした。
まだ24歳、それなりにかわいい妊婦目指してたのに・・・“おばさん”ですか!?

そしてお産。

私の初めてのお産は市内の助産院でした。
きっとおしか助産院を選んで下さったみなさんと同じ想いだったと思います。

お産の日はね、前日の朝から何となく何かを感じていてお部屋掃除したり冷蔵庫片づけたりしばらく留守する間の旦那さんの食糧調達したり・・・。まだまだ予兆も何もなかったのに、第6感てヤツかな?
今でもね、お産がある前はすごく眠くて寝だめしてたり、先延ばししている用事を急に済ませたりすると、みなさんからお産の電話かかってくることがしょちゅうなんですよ。
なんかね、お産をかぎわける特殊能力あるんじゃないかってくらい。
だからって、意識して“お産になるかも!!”って思ってやっても全然ダメなので、よくみなさんに「いつ産まれそう?」って聞かれてもはずしちゃうことあるんですけどね。

そして、夕方5時くらいから膀胱の辺りがチクチクしだして、これはもしかしたら???って思い始めました。
助産師やってても、自分の初めての陣痛ってなんかわかんないものなんです(^-^;

私、その当時も小鹿に住んでいて出産する助産院は静岡市内でした。
しかし、無謀にもその時点で実家のある焼津に身を寄せることにしたんです。
普通移動場所が逆でしょ!って今の私なら突っ込むとこですが、なんせ初産の私にとって初めての陣痛は安心できる場所でゆっくり過ごしたかったのです。

私の予定日は1月10日。
突然の成り行きに実家の母は慌てるやら喜ぶやら・・・。

私はと言うと、6時頃に実家に帰り“お風呂わかして~~~”なんて呑気にお風呂に入りました。
お風呂入れば陣痛が楽にやり過ごせるからです。
私がお風呂に入っていると、旦那さんが実家に帰ってきてくれて母方の親戚も顔出してなにやらみんなで盛り上がっています。
どうやら“出振る舞い”というそうですが、お産の時にみんなで飲んで祝うっていう感じ。
そう・・・呑んで・・・sweat02

気が付きました?
私の陣痛が本格的になった時には、旦那さんも私の父も酔っ払い状態annoy
そして私の母は車運転しません。
オイッ!だれがこの哀れな妊婦を静岡の助産院まで送ってくんだ!っつーの。

結局親戚のおばさん呼び出して、ヒーヒー言ってる妊婦を助産院に送っていってもらうことになったのが8時頃でした。

夜9時頃に助産院ついて、助産師の先生に初めてだし産まれるのは朝だね~なんて言われて旦那さんと分娩室で過ごすことになりました。
旦那さんは程よくお酒も入っていい気分。
痛がってる私を見ながら、和ませようと冗談ばかり言いますが笑えるはずもなく・・。
でも、24歳のかわいいころの私は旦那さんと迎えるお産がとっても嬉しかったのを覚えています。
別れてしまった彼ですが、あの頃は大好きで優しい人だったんだよなぁなんてあの時のこと思いだすと懐かしくなります。
長い年月は綺麗な思い出は綺麗なまま取っておいてくれるんですね。

話はそれましたが、その後11時頃にトイレで破水。
這うようにしてお産のお部屋に戻って、ナースコール押そうと思ったら先生が来てくれて“地獄で仏”とはまさしくこのことだよcryingって思いました。

それからはあれよあれよという間に進み、夜中の1時ジャストに無事オトメちゃんが誕生しました。
夕方5時から7時間でのお産。
初産の割には早く終わったお産でした。

ここまで読んでくれてありがとう。
こうして書いてみるとつくづく私のお産て、今いつも私が向き合っている皆さんとたいして変わりないんだなって思います。
だからなのかな?
みなさんがお産する時の想いやくじけそうになる気持ち、ご家族に対する気遣いやご家族の優しさ・・・こんな感情が今でも自分のもののごとく身近に感じられ、まるで自分や自分の身内がお産するかのごとくみなさんのお産の介助をさせていただけるのです。

オトメちゃんを産んで母にしてもらえて良かった。
イモちゃんを産んでバージョンアップした母にしてもらえて良かった。

“母”は死ぬまで母であることには変わりないけれど、オトメちゃん出産20年目を堺に大人の娘を持つ母としてこれからは自分の世界も充実させていきたいなと思っています。

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2011年12月21日 (水)

移転物語④

みなさんこんにちは。

アキハラさんは無事に卒乳できておめでとうございます。
お乳が自然に張らなくなったのならそのままで私は良いと思いますよ。
卒乳して案外寂しいのはママの方なんですよね。わかるなぁ、その気持ち。
でも、へその緒が離れてお乳が離れて次は育児の手が離れて・・・離れていく度に心は強く強く繋がっていくんです。
母と子って、そんなものじゃぁないかな?なんて思います。

コウメさんちは、おチビの肌荒れが治まってきたのなら良かったです。
私の情報が役にたったようなので安心しました。
また計測がてら助産院に遊びに来て下さいね。

さてさて、ひさしぶりの更新です。
って言っても、ネタのある今は以前より更新が小まめかもですが。
ここしばらくお産が続きました。
もともと12月は13日・14日・15日と、予定日が続いている方達がいました。
けれど、経産婦さんは前のお産が予定日よりも早い方と予定日通りの方でしたし後一人は初産婦さんでしたので、上手い具合に間隔開けてお産になるんじゃないかと高をくくってました。

そんな私の甘い考えを神様が見抜いたのか、見事にみなさん続けて出産して下さって大忙しでした(汗)
助産院は久しぶりに賑やかな毎日が続き、今日(って言っても今は夜中なので正確には昨日)最後の方が退院されました。
みんなが無事に出産して笑顔で退院されるのはとっても嬉しいことなのですが、今夜は少々静かで寂しい夜です。

では本題の移転のお話でもしましょうか。

突然ですが、今まで私は物を売るって仕事は“売る”ことが目的でその目的を早期に達成することが一番で、買う側が不勉強ならいくらでも付け込まれてしまうんじゃないかって思ってました。
ですので、結構私は物を買うことに対して慎重で、リサーチしまくって購入を決めるタイプです。
ただし、リサーチは日常の中で広告見たり何気にウインドゥショッピングしている時に値段チェックしてたりするので、コレダ!!っと思うと即決で買ってしまいます。
娘達から見ればかなり衝動買いしているように映るみたいです。

しかし、不動産に関してはいくら本読んでみてもネット開いてみても漠然としすぎてわからないことだらけでした。

そんな中何人かの不動産屋さんと接してみると、その紹介の仕方に大きな違いがあることがわかってきました。
依頼主が理想とする土地を自らの足で探してくれる方、広告に何カ月も出て(失礼ながら)売れ残っているような土地をすすめる方、早く早くと契約ばかりをせかして実は物件情報が正確ではなかったりする方・・・。
当然のことながら、私がお願することになったFさんは自分の足と情報網を駆使して私にあった物件を探して下さる方でした。
なかなか私が決めかねている時も
「必ずピンとくる土地はあるから、その土地にめぐり合う運命っていうのは絶対あるから、あせることはなんにもないですよ」
と言って下さいました。
きっと、今回こそ!って自信持って勧めてくださる物件ばかりだったと思います。
それが仕事だとはいえ、自分が良いと思って勧めた物件を断り続けられれば正直つらいのではないかなぁと思ったりもしました。
しかし、結局はFさんのおっしゃる通りの結果になりました。
すご~~~く遠回りしてたどり着いた土地は、Fさんに一番最初に紹介していただいた土地のすぐ横だったのです。
妥協しなくて良かった!
あきらめなくて良かった!

Fさんは、私がその土地に決めたことをとても喜んでくれました。
それは、“物が売れた”ということに対しての喜びではなく、私の夢が一歩前に踏み出せたことに対しての喜びでした。
今も、色々な交渉を全てバックアップしてくれます。
ただ“土地を売る人”ではなく、一緒に夢の実現を後押ししてくれる大切なパートナーです。

また、今助産院の設計をして下さっているKさん(建築士の頭文字のKで・・・)も同じです。
Kさんは、いつも設計の話だけでなく私のお産に対する想いや夢を時間をかけて聞いてくれます。
そうして、私の想いを共有して設計をしてくれるKさんの描く設計図は、ストンと私の心に入ってくるような・・こんな建物にしたかったんだよ~何でわかるの?・・みたいな、不思議な親しみと温かさのある設計図なのです。
Kさんも、今では私の大切なパートナーの一人です。

今まで、私にとって大切なパートナーというのは、お産を手伝ってくれる助産師だったり、日常的に助産院を手伝ってくれるスタッフだったり、助産院のことを気にかけていつも私に力をくれるみなさんだったり、とにかくお産に関わる方だけでした。

しかし、移転をきっかけに新しいパートナーができ輪が広がっていくのを実感しています。

この新しいパートナーとの作業の進行状況もここでまた随時報告していきたいなと思っています。
そろそろ設計図が修正を終えて本格的に出来上がってくる頃です。
設計へのこだわりも次は書いていきたいなと思います。

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2011年12月 8日 (木)

移転物語③

みなさんこんにちは。

マキココさん、ラブコールありがとう(*^.^*)
そして“例のもの”確かに受け取りました。
アハハなんかあやしい!あやしい商売でもしてるみたい。
“例の”わとと・あおぞらのチラシ、ちゃんと入れ替えしましたよ~。

ではでは、動いた私の心がその後どうなったか書いていきますね。
その土地は、まだ茶畑です。
今もって造成してどんな土地になるのか見当もつきません。
こんなんでいいのかしら?とも思うのですが、こんなんでいいのかも・・とも思うのです。
土地探しって、けっこうキツイ作業です。
なぜなら自分の限界を思いっきり突き付けられるのです。
もちろん、もっともっと交通の便が良くて地盤も自然災害に負けない地盤でそこそこ環境も良い土地はきっとあると思います。
しかし、当然のことながらそういう土地は手の出せる値段ではないんです。
もちろん、一般的なマイホームを建てるには金額的にも問題はないのでしょうが、駐車場を確保したい私にとって50坪ほどの土地では話にならないのです。
先日、新聞に静岡県のある市で産科開業医が不足しているため、開業資金を5000万円まで援助して開業医の誘致を募集したところ、誘致に成功したという記事を読みました。
医者・・しかも産科医・・どこの市や町も喉から手が出るほどほしいのでしょうね。
それに引き換え、開業助産所には市や町の援助なんてあるはずもなく“いいお産をしたい”“イキイキ子育てできる手助けをしたい”“そのためにもっと施設を充実させたい”って思ったら、全て自分の私財をなげうって行動しなくちゃなんです。
今回すごく痛かったのは、銀行さんさえなかなか動いてくれないということ・・・。
そう、こんなちっぽけな後ろ盾のない私にとって今回の移転は自分の限界いっぱいを思い知らされ、認めたくない自分の社会的立場の弱さを認めなくてはいけない作業でした。

ちょっとナーバスになりすぎましたね。スミマセンヾ(_ _*)ハンセイ・・・

だからって、仕方なくその土地ってわけでもないんですよ。
それに、こんなちっぽけな私を応援して新しい助産院を楽しみに待っていてくれるみなさんがいるってことが、私の力になってるんです。
一人一人の想いが集まると、おっきなパワーになるんです。
そのパワーを感じて、私は次の一歩が踏み出せるんです。
限界を超える力をみなさんからいただいてます。だから、良い形でお返ししたいって強く思うんです。

その土地のいいところはね、絶好のロケーションが楽しめるってところです。
西に静岡市を望み(また夜景が綺麗なんだよね)、南に駿河湾を望み(まあ、これはお部屋からじゃ無理なので屋上テラスからしか見えませんが)、東に茶畑の緑が続きます。
あと富士山が見えれば申し分ないのですが、そこまではちょっと無理でしたsweat01
それに何より静かな環境です。
山の緑に癒されるし、きっと心地よい風も通るでしょう。
それに敷地も余裕があります。
面会の方が何台かの車で来ても停められます。
雨の日の健診や退院で妊婦さんや赤ちゃんが濡れることのないように、玄関先は雨があたらないで車を入れられる余裕もあります。

限界があったからこそ見つけられた土地だと思うのです。

どなたかが、おっしゃってくれました。
“隠れ家的な助産院もいいじゃん。自分だけが知ってるみたいなね。”って。

大きい通りに面して誰もが利用しやすいってのも大事なのかもしれませんが、私にとってはおしか助産院が好きでそこの空気が大好き!って思ってくれる人達だけが、ちょっぴり日常からトリップして過ごせるそんな隠れ家を作っちゃおうかな?ってのもいいのかもしれないと思うんです。

どうせ、公的な援助も何もないんだから私の好きな人達の為に私の好きなようにやらせてもらおう!!って、ちょっと逆ギレ気味に開き直ってます。

なんだか、今回は愚痴なのか何なのかあまり話に進展がなかったですね。

次はどんなお話になるのか・・・
道草ばかりの移転物語ですが、また読みに来て下さいね。

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2011年12月 5日 (月)

移転物語②

みなさんこんにちは。

先日とってもたくさんの紫イモをいただいちゃいました。
なので今日のお昼は紫イモのポタージュとパンを作ってみました。
Cimg7599


パンの形がいまいちだけど、今日は試作の段階なのでこれで良しとします。
味はね、パンはフワッフワで優しい甘さのものが出来上がりました。
パンの中に練りこんだ紫イモのペーストがもう少しきれいに見えれば100点ですheart01
ポタージュはね、色はこんなんだけど味はサツマイモのポタージュです。
お産が無い時にこんな風に色んなことやってます。

さてさて、では今日は土地探しのその後です。

その不動産屋さんとは去年の10月ころ(だったかな?)初めてお会いしました。
Fさんとでもしておきましょう。←単純にFUDOUSANの“F”です。
その頃は私がどうやら本気で土地探しをしているらしいということで、知り合いにも何人か不動産屋さんを紹介してもらったりしていましたのでFさんもその中の一人という感じでした。
私としては、目指す土地の相場を知って自分の資金計画に役立てられればいいなくらいの気持ちでしたし、理想の土地が近くにあってそこを何とかしてくれたらなぁくらいの考えで色々お話させていただきました。

まず最初にわかったのは、理想の土地は市街化調整区域で助産院は建てられないとのこと。
また、例え無理に建てようとしても水道の引きこみやらなんやらで結構余分な金額が必要だということ。
結局、理想は理想のまま終わってしまいました。
そして、理想に近い土地を紹介していただいたのですが、その土地は宅地にするのに1年以上先になると言われて御断りしました。
しかし、結局はその土地が今回の土地のヒントになるんですけどね。

そこからはFさんを含む何人かの不動産屋さんから頻回に土地の情報をいただきました。

私の条件は
*何をおいても駐車場が確保できる土地であること。
*お産は昼夜関係ないので、音を気にする住宅密集地ではないこと。
*案内しやすい場所や大きな目印になるもののある場所であること。
*万が一救急車が来ることも考えて道幅に余裕があること。
*一方通行の道沿いは便が悪いのでダメであること。
*できる限り自然に囲まれていること。
*入院中に癒されるロケーションであること。
*私が永住の地として安らげる場所であること。
*できるだけ嘱託医療機関である済生会病院から離れないこと。
*建築費を含めて予定金額は変えられないこと。
などでした。
しかし、何においてもですが100%なんてありえるはずもなく時間だけが過ぎてゆきました。

途中いくつか決まりかけた土地もあったのですが、色々な事柄が重なってキャンセルしたりされたり・・・今思えば結局は今回の土地に流れ着く運命だったような気がします。

こんな我儘な土地探しでしたので、そのうちに不動産屋さんからの情報も少なくなりまた私自身色々なことも考えて不動産屋さんをFさん一人に決めました。
Fさんはただ一人、私の我儘に“無理です”と言わなかった方でした。
「何年かかってもいいから探しましょう」とまで言ってくれました。

Fさんには10か所以上の土地を紹介していただき見に行ったりしました。
かなり良い条件の物件をいくつも廻りました。
小鹿近辺をあっちこっち・・大谷、聖一色、池田、国吉田、ちょっと離れて長沼も。
でも、なかなかないんですよね。
それに“おしか助産院”と名乗るからには小鹿がいいし、けっこうこの地域を私自身が気に入っているのもあって、やはり原点に戻って小鹿で探そうということになりました。

そして、う~~~ん(-_-)???と考えてもう一度今まで紹介してもらった土地について見直してみました。
私一人でそこに行き、なぜダメなのかを考えました。
そして、その中で何度も行きたくなる場所が一か所あったんです。
公共交通機関からのアクセスの悪さときつい坂道の多さだけがネックで、その他はほぼ理想に近い場所です。
そして何よりも感じるものがあるんです。
そこから何かが始まるような空気感・・・。
しかし、その土地の西側にとっても大きなお家を建築中のためせっかくのロケーションが台無しでした。
そんな話をFさんにすると、Fさんはその土地の南側の土地を勧めてくれました。
旗竿地であることもあるのか、金額も理想どうりです。
旗竿地っていうのは、敷地がmotorsportsこんな感じでポールの部分が敷地への進入路になっていて“道”なのでちょっと使い勝手が悪いんです。
しかし、私にとっては願ったりかなったりの土地でした。
そのポールの部分も含めて100坪以上の敷地です。ポールの部分も駐車スペースとして使えます。

心が大きく動きました。

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2011年12月 1日 (木)

移転物語①

みなさんこんにちは。

イベントディナーや移転地・・楽しい話題にコメントたくさんありがとうございます。

では、お約束の移転地のお話を今日は書きますね。
まずはじらしても仕方ないので、ズバリ場所からいきます。
場所はすぐ近くの聖光学院のすぐお隣です。まだ茶畑ですsweat01
もちろん“小鹿”です。なんたって“おしか助産院”なので・・・wink

ここに決まるまでの間1年以上も土地探しに時間をかけました。
今回から、何回かにわけてその経緯を書き込んでいきますね。

まず、ブログの中でもずっとみなさんにお伝えしてきた通り、2~3年ほど前から私の中で施設の充実という想いが膨らんでいました。
初めは「口に出してしまえばいつかは叶う夢」として語りだした夢でしかありませんでした。
このブログの中で語り、親友の助産師に語り、娘達に語り、語ることで自分のモチベーションを上げていったんだと思います。
そして“夢地図”を描きました。
“夢地図”ってご存知のかたもいらっしゃるとは思いますが、自分の向かうべき夢を具体的に紙に書いたり理想の写真を張ったりして、その夢に近づく為にすることやその夢に関わることなんかを書き込んでいくんです。
それは何度も修正してもいいし、お気楽に書きたいことをその都度書き込んでいって常に眺めていられるとこに置いておくんです。
実は私の夢地図の最終目標は移転ではなく、移転はその夢を実現させるための大きな出来事の一つなんですけどね。
そんなことをしながらしばらくはアンテナをピンッと伸ばしてました。

しばらくは夢は夢のまま時間が過ぎてゆきました。
特別積極的に不動産を探すわけでもなく、期限を設けるわけでもなく奇跡的に土地の話が舞い込んできたりして~~なんて呑気に構えてたんです。

でも、しばらくたつと移転の為にどのくらいの費用が必要で私にはどのくらいのことができるんだろうか?ってことが気になってきました。
それまで、何にも考えず夢地図にも“お部屋がいくつで診察室の他に応接室も欲しいし厨房もちゃんとしたいし・・あっそうだ学生実習にきた学生の控室も欲しいし万が一助産師の学生が実習にきたらお産は泊まり込みになるから仮眠室も欲しいな。もちろん、プライベートの自宅空間も確保して・・・”なんて、どんな豪邸たてるつもりなんだい!!って突っ込み入るくらいの壮大な夢をみてました。
ここまでは目をつぶって見る夢の段階です。
ふと目を覚ますと現実の壁が高~~くそびえたっているんですけどね。
そして、その壁がどの程度の高さでそれを超えるにはどうしたらいいのかヒントが必要だと思いました。
なので、時間の許す限りマイホームセンターや建築会社に足を運び、住宅本を買いあさり、住宅建築のコストについて考え始めました。
この辺りから、移転の夢は目を開けて見る夢に変わっていったのだと思います。
しかし、私のこの妄想助産院はどこの住宅会社の営業さんもコスト的に無理だと言います。
そりゃそうですよね。
女一人の小さな助産院経営者が逆立ちしたって、この妄想助産院の規模には無理があります。
「やっぱり無理なのかも」と「そんなことない!絶対大丈夫!」という二つの気持ちを行ったり来たりしていた時期でした。

そんな時、ふとしたことからある不動産屋さんに出会うことになりました。
その出会いが、私の移転を決定的なものにしてくれることになったのですが、まさかそれから1年以上その方と土地探しをすることになるとは、その時の私は思いもしませんでした。

つづく

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