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2011年3月29日 (火)

大切な記憶

みなさんこんにちは。

今回の震災に対してのみなさんのコメント、本当にその通りだと肯きながら読ませていただきました。

ところで、静岡新聞にも出ていましたが、今回の震災でテレビから繰り返し流される映像を見続けた子ども達に精神的に不安定になる症状がでているということなので、みなさん気を付けてくださいね。
私も、診察をしてお話をするなかでお兄ちゃんお姉ちゃん達がママから離れなくなってしまったり、ボーっとしてたりというお話を聞き困ったことだなぁと思っていました。
ほとんどは地震のあった時は比較的落ち着いた環境にいて、地震そのものは恐怖心もなく乗り越えた子どもが、しばらくして津波や崩壊家屋の映像を見続けて不安定になったような感じです。

ここしばらくは、子ども達にテレビの震災の映像を見せるのを控え、スキンシップを十分にとってくださいね。
もちろん、何の症状も出ていない子どもでもいつもよりゆったりとした時間を親子で過ごして安心感で包んでくださいね。

さて、今日は私の大切な方が亡くなったお話をさせていただきます。

その方とは、私が開業する前に働かせていただいた増田助産院の増田さかへ先生です。
つい先日の朝亡くなられました。
私にとっては突然のことで正直ビックリでした。

増田助産院には、イモちゃんが1歳6カ月になったころからお世話になりました。
そろそろ職場復帰しようと思っていた私に、私が以前から助産院での仕事に興味を持っていることを知っていた方が、増田助産院を紹介してくれました。
一度面接をということで、急な展開にまだイモちゃんの預け先も決まってなかった私は取りあえずお話だけでも・・・という気持ちで出かけました。
そしたら先生、何と「明日からお願いね」というではありませんか!
イエイエまだ保育園も未定なので・・・と言って何日か待っていただいたのが昨日のことのように思い出されます。

そして、就職1日目。
初出勤して初めて座った診察室の机に置いてあった入院の方のカルテを何気なく見ていた時、私は自分の目を疑ってしまいました。
そのカルテの“夫”の欄には、何と数年前に別れた元主人の名前が書いてあったのです。

そんな偶然があるものかという驚きと、別れた時の色々な思いが一気に押し寄せ私はまだ出勤1日目だというのに、増田先生の前で泣いてしまいました。
先生は、そんな私を優しくいたわって下さりなるべくその家族とは接触しないように気を配って下さいました。

先生のところでの一日は、いつも朝出勤して先生とお茶を飲みながら先生の昔のお話を聞かせていただくことから始まりました。
先生は時におもしろく、時に真剣に私にいろいろなお話をしてくださいました。
そんな中で、私の母が父と新婚当時間借りしていたお宅が実は先生の親戚筋だったり、先生の亡くなられたご主人の家系が私の2番目の主人のおばあちゃんの家系と姻戚関係にあったりと、いろいろな接点が見えてきて、毎朝先生とお話するのがとても楽しみでした。

診察では、病院勤務の時には知りえなかった、実践の中から生まれた昔からの本当に妊婦さんに必要なそして胎児に必要な、色々な知識を学ばせていただきました。
今私がみなさんにお伝えしていることの大半は、この時に増田先生の言動を私なりに解釈したものだと言えます。

また、お産は本当にすばらしかったです。
何十年とお産を扱ってきた人にしか出せない空気(オーラというには軽すぎて、気迫というか何というか・・・)が先生の周りには漂っていました。
よく、熟練した産科医や助産師を“お産の神様”とか言うけど、私は違うと思います。
人は神にはなれません。
きっと、先生もそう思われると思います。
なのであえて私は、先生は“お産の神様に愛された助産師”だと言いたいです。

正直、普段の先生はちょっとかわいらしいところがあるおばあちゃんです。
おっちょこちょいだったり、おっとりしてたり、少女みたいな部分があったり・・。
でも、お産になると別人格のごとく一種の凄みさえ感じ、一緒にお産ができることがこの上もなく嬉しく、本当に尊敬する助産師でした。

私は、病院勤務時代に「なぜ自分は助産師なのか?産科医ではないのか?」と悩んだことがありました。
もちろん、医師になるほどの頭脳は持ち合わせておりませんので、現実問題として悩んだというよりも、その当時は医師のほうがよほど妊産婦さんに色んなことをしてあげられるのに・・・と本気で思っていたのです。

しかし、増田先生と知り合い増田先生と過ごすうちに、心から助産師であることが誇りに思えてきました。
助産師でよかった!助産師だからこそできることがある!ってことにようやく気付くことができたんです。
助産師だからこそお産の時に体も心も寄り添い続けていられる。
助産師だからこそ薬や医療行為に頼らないお産を考えられる。
助産師だからこそ母として女として一緒に悩み喜べる。
助産師だからこそ・・・
あげたらきりがありません。
もちろん助産師にできることが医師にできないわけがありません。
しかし、医師は忙しすぎますし助産と医療としての分娩介助はまったく違います。
助産師で良かった。助産師が良かった!
増田先生に出会えて良かった!

そんな増田先生とも、ここしばらくはご無沙汰でした。
私が忙しくなりあまり外出をしなくなったことが原因です。

今更、もっと会いに行けば良かったとか、後悔はしません。

私は増田先生によく「青島さんはお産が上手でねぇ」と言っていただいてました。
もちろんお世辞でしょう。だって、私が先生の前でとりあげたのは一回だけ。後はいつも先生のお手伝いをさせていただいてたんです。

でも、私はこの先生のお言葉をいつも胸に開業以来頑張り続けました。
私が先生にする恩返しは、先生のご機嫌伺いに顔を出すことではなく、増田助産院から出た子が地域に根を張って忙しくしてるよっていう便りが風に乗って先生の耳に届くことだと思っていました。
先生が自慢できる助産師になること。
これだけを目標に頑張ってきました。
きっと、目を細めて「あたしの育てた子がねぇ、頑張ってるんだよ」って喜んでくれると思って頑張ってきました。

でも、間に合いませんでした。

もっともっと成長した私を見せたかった。
先生に何にも御恩返しができないまま先生はこの世を去ってしまわれました。

でも、きっと先生はこれからの私のこともちゃんと見ていて下さるでしょうから、空の上で先生がほほ笑んで下さるよう、これからももっと頑張ろうと思います。

それにしても、大切な人がいなくなるって、寂しいことですね。

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2011年3月25日 (金)

支援の在り方。

みなさんこんにちは。

コメント読んで胸が痛くなりましたが、なかちんさんは被災地の岩手出身だったんですね。
きっとお産の時にそんな話も聞いていたのかもしれませんが、記憶になくて・・。
被災地は今はまだまだ大変な時ですよね。
ご家族やお知り合いのこれからの復興を、誰よりも願って支援なさっているのでしょうね。

私も、少しですが助産師会の被災妊産婦支援の助産所の登録をしたりと、日々自分にできることを探しています。

スーパーに行くと、いつもの棚がガラガラだったりしますが、足りない不足感よりもそういうものがなくても何不自由しないでいられる現状から、いつもどれだけ余分なものに囲まれてそれを当然として生きてきたのかに反省しきりです。

カップ麺がなくてもパスタがなくてもパンがなくてもいいじゃない。
トイレットペーパーがないのは困るけど、今あるものを少しずつ使ってみると普段無意味にペーパーをカラカラたくさん出してたなってわかります。
ご飯も、余分に炊くのをやめて食品のストックもしっかり使うようにしたら、冷蔵庫がスッキリしてきました。
今は入院さんいないからほとんど調理らしい調理もしないで、たとえば解凍したご飯に解凍したクリームシチューをかけてチーズ乗せてチンしてドリア!なんて感じのもので十分おいしいです。

私は、被災地の方々に比べればなんて贅沢に今生きてるんだろうって思います。

けどね、先日ビックリ・・というか悲しい・・というかちょっと残念な経験しました。

それは、とあるチェーン店で商品を選んでいた時です。
突然見ず知らずのおばあさんに声かけられました。

おばあさん:「ちょっとアンタ聞いてよ!!!この先のスーパーでキャベツが250円なんだよ!もうすぐ500円になるよ!野菜も何もかもうんと値段が上がって、日本中おかしなことになっちゃうよ!」←かなり大声でまくしたてます。
私:「今はしかたないよねぇ」←被災地のこと思えばお金もって買い物できるだけでも幸せなのに・・・
おばあさん:「市営住宅とかだって全国で被災者に提供だってゆうじゃないの!」
私:「今はしかたないよねぇ」←当然のことだと思うけど・・・
おばあさん:「ハローワークだって被災者優先だって!あたしっちだって仕事ないのにねぇ!」
私:「今はしかたないよねぇ」←この人も日々ギリギリでいきてるのかな?でも今はとりあえず戻れる家あって眠れるお布団あればいいとしなきゃじゃないのかな・・?
おばあさん:「あ~~~!!日本はどうにかなっちゃうよ!。静岡は地震の被害少なかったから良かったと思ったらとんでもないことだよ!」
・・・ここまで我慢してたけどちょっと我慢できなくなっちゃいました・・・
私:「今は被災者のこと考えればそんなこと言ってられないじゃないですか!」
やや語気が強かったのにビックリしたのかおばあさんは「あぁそうだねぇ」とボソッと言ってどこかに行ってしまいました。

この一件でいくつかのことを考えさせられました。
まずは一つ。
こういう形で、根も葉もない噂が広まってゆくってこと。
風評被害や根拠のない恐怖心からの買い占め。
そして一つ。
孤独な老人は、テレビの映像を見て恐怖を募らせたとしても、その思いを伝えて共有し慰めあい安心させてくれる相手がいないのではないか?ということ。
おばあさんがそういう状況でないといいのですが・・・。
そして一つ。
被災とかじゃなくても、仕事や住居に不安を抱えてくらしているお年寄りがいる世の中だという現実。

あのおばあさんにもっと優しく声かければよかった。
きっと私が何を言っても彼女の気持ちは変わらないのかもしれないけど、それでももっと優しくすればよかった。

自分は被災者に目を向けているから正しいんだっていう驕りがあったのかもしれません。

でも、そうじゃなくて私たちは今どんな方にも優しい目を向けなくちゃなんです。
そういうことが当たり前にならなきゃなんです。
だって、震災の記憶は時間と共に薄れていきます。
もちろん、当事者である被災者の心からは記憶は消えないでしょうが、支援者側の私たちは少しずつ報道が減るのと並行して支援の気持ちも薄くなってしまいがちです。

でも、被災者が望んでいるのは継続した支援のはずです。
どんな方に対しても、その人が望む支援を感じる心を一人一人が持ち合わせていれば、継続した支援につながってゆくと思うのです。

被災しているから助けてあげる・・ではなく、自分の驕りや欲をもう一度見つめ直して支援の意味を考えたいと思います。
そして、被災者の方が一日も早く復興し今まで以上に希望を持てるよう、継続して心を寄せ続けたいです。

また今まで以上に国の政治に関心を持ち、社会的弱者である子供やお年寄りは幸せなのかに心を配り、自分にできる支援をしていきたいです。

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2011年3月17日 (木)

みんな大丈夫でした?

みなさんこんにちは。

日本の国がすごいことになってしまいましたね。
静岡に住む人間としては、明日は我が身としてリアルな恐怖をおぼえました。

おしか助産院では、最初の地震の時に一組の母子が入院されてました。
揺れを感じてすぐに2階に上がり、お母さんと赤ちゃんの無事を確認してそれからはきっと皆さんと同じだと思うのですが、何日もテレビの映像にくぎ付けでした。

あの映像が映画の撮影や他国での出来事ではなく、リアルタイムでおこっているなんて信じられませんでした。
しかし、時折揺れる余震に現実なんだと実感させられました。

あれからもう1週間が経とうとしています。

被災者の方は、どんなに不安で苦痛の多い一週間だったのでしょう。
胸が締め付けられる思いです。

私になにができるのだろう・・・。

毎日ずっと考え続けました。

まずは一般市民として、不確かな情報に踊らされることなく冷静に被災地のことを第一に考えて行動すること。

不要不急な買いだめをしたり電気や物の無駄遣いをしないこと。

開業助産師として協力できることがあるようなので、できる限りの協力をすること。

だんだん、私にできることが分かってきました。
昨日はオトメちゃんを連れてSBSに支援金を渡しに行きました。

そうそう、オトメちゃんは茨城の大学にいたのですが3月4日に春休みで帰省していてかろうじて被災はまぬがれました。
しかし、お友達の家は亀裂が入ったりご近所の屋根がなくなっていたり倒壊していたりと大変だったようです。
まだ、常磐線が大学のある市まで走っていませんので帰れないのですが、親としては原発の状況も心配なので帰したくはありません。
きっと寮のお部屋は物が散乱してるんだろうな・・・。

大学の新学期が始まるころには少しは状況が好転しているとよいのですが。

皆さんはいかがでした?
お怪我されていたり、子ども達がパニックおこしたりしてませんか?
被災地にお身内や友人がいたりしませんか?

こんな未曾有の大惨事に直面している今こそ、みんなが心を一つにして乗り越えなくてはならないですよね。

これ以上の災害が日本にふりかからないように、そして日本が再び立ち上がれるように祈りつつこれからの日々を過ごしていきたいです。

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2011年3月11日 (金)

やっぱり・・・

みなさんこんばんは。

コメントありがとうございます。

ゆいの母さん、つわりが今回は大変でしたね。
でも、つわりは赤ちゃんが元気に育っているっていうサインでもあります。
頑張って乗り切ってくれてありがとう。
おかのさん、まだまだいつでも遊びにきてください~。
お仕事も忙しいでしょうが、時には息抜きも・・ね。私もついついトークに夢中になってベビちゃんの計測結果の記入が頭から抜けてました。
赤ちゃん健診に来られるみなさんとおしゃべりするのって、ホント楽しいです。
コウメさん、いつも楽しい健診ありがとう。
今回は第2子ということで、子育てしながらの妊娠ライフは思っていたよりもハードかな?
でも、ここを乗り越えればまたかわいい家族を胸にだくことができます。
時満ちておしかで出産できるよう、私も精一杯のサポートをさせていただきますので一緒に頑張りましょう。

ところで、今回は前回に決めた移転地のことでお知らせです。

ずばり!!
やっぱり他の場所をまた1から探すことにしました。

とってもいい場所で名残惜しい気持ちはあるのですが、どうしてもゆずれない事情に遭遇し土地の購入をやめました。
ニューオシカ助産院がいつになったらできるんだろう???
なんて想いに悶々としながらも、自分のインスピレーションを信じてよりふさわしい土地を探そうと思っています。

私ね、結構不思議なことって信じちゃう人でね、きっとピン!とくる場所って絶対にあるはずだって思ってるんです。
だから何にも急がないし、あせらない。
“出産”という命に関わるにふさわしい場所。妊婦さんや子ども達の笑い声の似合う場所。そして赤ちゃんにつながる多くの人が訪れるのに最適な場所。
もう少し時間をかけてじっくりと探していこうと思っています。

また、新しいことが決まった時にはここに報告しますね。
おしか助産院の情報を皆さんと共有するのが私の今の楽しみです。

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