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2010年4月21日 (水)

おしゃべりオフ会の日程

みなさんこんにちは。

キヨちゃんさんおかのさん、コメントありがとう。

いつも思うのは、育児のことも介護のこともこうして文章にしたり口に出したりすることで、発散できちゃうんですよね。
自分だけの世界で悩んでたりすると、グルグル迷路から出られなくなっちゃうんだけど、想いを外に出すことで道が見えてきます。

・・・ということで(ってわけでもないですが)またまたオフ会やりま~~す。

おしかふぁみり~(の会!?)
日時:5月8日13:00~16:30
場所:来・て・こ 3階こども室
会費:100円
今回からセブンちゃんさんと、ポニョ母さんがまとめ役さんやってくれてます。
いつもどうりのおしゃべり会です。
何時に来て何時に帰っても自由。
みんなでお菓子食べながらワイワイしましょう。

あ~~っ。お菓子といえば・・・
最近私の体重増加が止まりません。
ついこの前まで結構いい感じでスッキリ体型だったのに(;д;)

原因はわかってるんです。

少し前に、健康と痩身のためにスポーツクラブ入ったじゃないですか。
そしたら張り切りすぎちゃって、腰と股関節を痛めちゃったんです。
スポーツなんてもう10年以上やってなかったから・・・
そんなこんなでスポーツクラブをやめたんですが、しばらくは本当に股関節痛くて歩いても痛いし、朝起きるときなんて体が固まっちゃってるから動こうと思っても痛くてソロリソロリとしか動けなかったり、ひどかったんです。
もちろん、お産はやれましたよ。
でも、なんせフリースタイル分娩の我が助産院ですのでお産の介助はかなり無理な姿勢を取らなくちゃで、時間かかるお産の時は途中で屈伸運動したりして・・。
アハハ(^-^;
産む人よりも落ち着きなかったかも。

そんなこんな日々が少し続き、整体行ったり整形行ったりして最近は腰も股関節ももとどおり痛みもなくなりました。
でも、もう運動するのが怖くなっちゃって。
助産院にいるときは診察でほとんど座ってるし、移動は車だしで、体動かしてないんですよ~。

じゃぁ食べなきゃいいんですがね。
3月にオトメちゃんの卒業式あったんです。
その日に向かってひそかにダイエットしたりしてたんですが、結局お産あって出席しなかったんですね。
そしたら、ダイエットの反動で食欲出るわ出るわΣ( ̄ロ ̄lll)
それにね、なんかこの頃思うんです。
世の中美味しいものたくさんあるでしょ。
外食したりお取り寄せしたりして家族や友達と美味しい時間を過ごすのって、私にとって結構至福の時だったりするんですよね~。
高級なブランド物買いあさったり、ギャンブルやったり、すご~っくお金のかかる趣味を持つってことのない私の唯一の贅沢が食べることなんです。
そうして自分に言い訳して食べ続けてたら、あっという間にコロコロのさんばちゃんになってしまいました。
あーーーっ!!もう代謝も悪くなってるから今から痩せるのは至難の業だろうな~

今日もまたダイエット商品のチラシを見ながらため息ついてます。

妊婦さんは私を反面教師として、決してこんなことにならないように気をつけてくださいね。

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2010年4月18日 (日)

その後

みなさんこんにちは。

実はこの前の更新は、夜中にガーーーっと書き込みしているうちに話も長くなっちゃって、なにより眠くなっちゃって・・・とっても思わせぶりな終わり方をしてしまいました。

さっそくたまがわ助産院の玉川さんから、心配メールをいただきそして皆さんからも心配コメントをいただき、とても暖かい気持ちになりました。ありがとう。

父は、その夜救急車で入院し今も病院のベットの上です。
母が毎日お昼から夜まで付き添ってます。
母がいると寝てばかりで夜中に寝ない父に、母が「お父さん寝てばっかだねぇ」というと、お前がいると安心だから・・・と言うんだよと電話口で話す母の声が、あきれながらも少しだけ嬉しそうです。
少しボケちゃって、普段は歩けもしないのに夜中に突然トイレまで歩行し、トイレの洗面の水を出しっぱなしにして動けなくなってトイレを水浸しにしたとか、やりもしない手術を、早くやってほしいと言ったりと、母の手を煩わせているようです。
それでも、歩行訓練用の靴を最近注文したとかでその靴が来るのを楽しみにしている様子だそうで、母は早く家に帰してあげたいと言っています。
この前私がお見舞いに行った時なんか、私の話に「ああ」「そうだな」くらいの相槌しかうってなかった父が、突然「リハビリに行かなくちゃ」っていって起き上がろうとするんです。
もちろん、起きることはできません。
もう夜だから寝る時間だよって言って、なんとか納得させました。
実は父は肝臓癌の手術を去年したんですが、もうかなり進行していて回復は難しいんじゃないかと私は思っています。
後はゆっくりと・・・。

そんな父ですので、母が私に「少しでも早く家で介護したいから退院させたい。」と相談してきました。
以前、おかのさんと自宅介護と自宅での終末について話をした時のことを思い出しました。
自宅で終われるってことは幸せなのかも・・・。
だって、自宅で産まれるのだって幸せなんだから・・・

しかし、あえて私は母に言いました。

「今入院しているからお母さんは昼から夜だけの介護なんだよ。
どんなに大変だって夜中にお母さんは寝ていられるし、買い物にだって出られる。
でもね、もし今の状態でお父さんが家に帰ってきたら・・・
(姉夫婦は共働きだから)お姉ちゃんは介護なんてきっとしないだろうから、24時間お母さんがお父さんの全てを看なくちゃならないよ。
今看護師さんがやってくれていることを全て一人でやるんだよ。
それが1週間や2週間ならいいけど、この先どのくらいかわかんないでしょ。
私はお母さんが倒れちゃうと思う。
もちろん、ディケアやヘルパーさんを頼むのだろうから、そういうこともちゃんと計画してお母さんの時間が週に数時間でも確保できて、お父さんがもう少しでも状態が安定して、共倒れにならないってなったら自宅介護すればいいじゃん。
いずれ病院からだって退院についての話は出るんだから、今の状態でむりやり自宅に帰るのはどうかと思うよ。」

母は、今までどうすべきかずっと悩んでいたようでしたが私がズバリと現実的なことを話たことで、今の時点での自宅介護は無理だと気付いたようでした。

これで良かったのかな・・・?父はきっと一日でも早く帰りたいんだろうな。
もしかしたら私がこの前の帰り際に「今度来る時までにもっと元気になっててよ。」って言った言葉を頑固に守ろうとしてるのかな?
もうきっとムリなのに・・・。
ボケても娘との約束を守ろうとしている父を想うと、切なくてたまりません。
ましてや、そんな父の退院を少しでも先延ばしにしたほうがいいなんて言ってる自分が情けなくなります。
そして、母や姉夫婦に全てをまかせて父の介護に口だけしか介入しないってのも、どうなのかな?とも思います。
今まで、老人介護なんて他人事のように思ってきましたが現実に直面すると本当に難しい問題がたくさん出てきます。
きっとそういう家族に支援の方法を示してくれるのがケアマネージャーという仕事なのでしょうか?

今回のことで今まで触れることのなかったさまざまな事柄に気付かされました。
これからバアバちゃんとジイジがどんな方法で自分達の幸せな終わり方をするのか、人生の大先輩のやり方をちゃんとこの目で見ておかなくてはと思いました。

きっと昔の大家族は、こうして人生の終わり方を学び、そして年の離れた兄弟の自宅での出産や育児を見て育つということが当たり前だったんでしょうね。
だからこそ命について常に身近な問題としてとらえ、日常の中に自然に生も死もそして性も学んでゆくことができたのでしょう。

そんな時代には、昨日のニュースにあったインターネットを解約されたことに腹を立てて親と兄弟夫婦とその1歳になる子供を殺傷するなんて事件はなかったんでしょうね・・・。

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2010年4月15日 (木)

もうひと波乱

みなさんこんにちは。

では続きです・・・。

実は実は、オトメちゃんの旅立ちとクロスしてもう一つの事件が勃発していました。

さかのぼって25日。
退院を見送った後、私達3人はすぐに私の実家に向かったのです。
ご存知の方も多いと思いますが、バアバちゃんのいる焼津です。
理由は、どうやら私の父親の体調が思わしくないようなんです。
オトメちゃんのことを目に入れても痛くないほどかわいがってくれたジイジに、オトメちゃんが大学に行ってしまう前に会わせたいと思ったのです。
父には、オトメちゃんの大学合格のお祝いをしようっていう名目で、寿司おけ持って行きました。
あっ、余談ですがこの時のお寿司はおしかで出産してくださった方のお店で作っていただいたとっても美味しいお寿司で、口の肥えたオトメちゃんがここのお寿司が大好きなんです。
お魚屋さんです。興味ある方は連絡先をお教えしますね。

父に会うのは久しぶりでした。
前に会ったのは確か1月。
その時も何となく動作や反応が鈍ってるなとは思ったんですが、実家のリビングで見た父は私の知っている父ではありませんでした。
体が大きくて冗談が好きでいつも私や孫達を目を細めて見ていてくれた父は、少し痩せて動くのが大変そうで、私の問いかけに返ってくる言葉も少なくて、遠い目をしていました。

それでも、いつもは歩くこともままならないと聞いていたのに、気がつくと数歩先の食卓の椅子のところに自分で移動し、お茶を飲み始めたんです。
「薬を飲ませなきゃ」というバアバちゃんの声にオトメちゃんが反応して薬を出してジイジの手に持たせました。
おぼつかない手で薬を飲むジイジ。
そして、持ってきたお寿司をオトメちゃんがジイジのお皿にとりわけます。
最近は全く食欲がなくて食事もあまり手をつけなかったというジイジが、ちょっとにぎやかなオトメちゃんの声に応えるように、ゆっくりお寿司を選び食べ始めました。
恥ずかしながら、この年になって初めて“老い”というものに直面しました。
しかし、それは恐ろしいものでもなければ悲しいものでもありませんでした。
私の仕事は新しい命を迎えること。
焼津に来る直前まで新しい命のお世話をしていました。そして日々成長してゆく若木のような娘たちの相手をし、その少し先であろう出産されるお母様方のケアをさせていただき、そしてまたまたその少し先の姿が今の自分です。
人が産まれてから老いてゆくまでというものを自然な流れで捉えられたのかもしれません。
とても穏やかな暖かい空気の中で食事を楽しみました。

帰る時
「また来るからね。もっと元気になっててよ。」
という私に
「ああ。」
といって頷く父。
もう昔のように
「気をつけて帰れよ。いつでも遊びに来い!無理して体こわすなよ!」
という言葉は聞けませんでした。きっともう一生父からそんな言葉は聞けないでしょう。
でも、遠くを見つめている父の目が少しだけ優しく光っていたように感じました。
帰り際に、いつもは亭主関白な父の文句ばかり言っている母が、すごく寂しそうに
「時々お父さんの顔見にきてやってね。あんなに嬉しそうなお父さん久しぶりに見たよ」
と、ささやきました。

そんな父が、入浴中に意識を失ったと電話が入ったのは、私達がおしかの家に帰ってきてすぐのことでした。

つづく・・・

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オトメちゃんの巣立ち

みなさんこんにちは。そしてお久しぶりです。

ここしばらくはみなさんの書き込み読みながら、うなづいたりしてました。
って、オイッ更新しろよ!!ってとこですが・・・

この春我が家からめでたく一匹の小鳥が飛び立ちました。
その名も「オトメ鳥」
今まではかごの中でぬくぬくと育って、佐渡のトキのごとく保護されてきましたが、今やっと野生復帰準備保護区ならぬ、大学の学生寮に入って一人暮らしを始めました。
もちろん、保護区ということで完全なる一人暮らしではありませんが・・・。

みなさんにもいっぱいご心配をおかけしたオトメちゃんの大学入試の結末をお話しますね。

オトメちゃん、結局第一志望(が、3つもあったのですが・・┐(´д`)┌)にはみんなフラレてしまい、土壇場になって初めて名前を知った大学のⅡ期の試験で無事合格。
この辺りまでは、お話してあったと思います。
本当はこの大学を受ける直前までは、名前も知らないような大学に受かっても自分は浪人して有名大学を受験しなおす!なんて張り切っていたのですが、いざ受験してみると面接してくださった先生方の人柄の良さにとても感動して帰ってきたのです。
そして受け取った合格通知。
もう、それはそれは喜んで・・・でもやっぱり有名大学にも未練あって・・・。
なので、私はオトメちゃんにダメ元で有名大学のⅡ期も受けさせました。
結果は見えてたんですがね。
なぜなら、今は看護大学はどこも人気高くて国公立の結果が出た後のⅡ期の受験は国公立ダメだった組も流れてきて、それはそれはすごい倍率なのです。
5~10人くらいしかとらないところに100人近く・・・なんてのもありなんです。

まあ、そんなこんなでオトメちゃんは無事、有名大学Ⅱ期の試験も不合格。
おかげで、とてもサッパリした気持ちで合格をいただいた地方の大学の看護学部に入学することになりました。
オトメちゃん曰く「ここの大学が一番先生があったかくて、受験会場にいた子達も仲良くできそうな子達ばかりだった。受験に行く途中、駅のホームでエスパルスの選手にも会ったし、運命なのかも・・・(←何が!?)」とのことでした。

さて、入学が決まってからが忙しかったです。
なんせ合格発表は高校の卒業式の後。
その後の有名大学受験や不合格発表を待ってから入学準備に入ったんです。
入学金の振り込みやら住む場所探しやら。
けれどお産近い人を抱えている私は、行くのに新幹線使って東京超えて静岡から3時間以上かかる地方にアパート探しにはいけません。
オトメちゃんもはじめはネットでアパート情報見たりしてましたが、土地勘のない場所でどんな物件なのかもわからず、万事休すの状態でした。
そんな時、そこの大学に学生寮があることを思い出し・・話はとんとん拍子に進み無事オトメちゃんの一人暮らし第一歩は寮生活ということになったのです。

そうこうしている3月20日、おしか助産院では3月最後の予定者さんがお産になりました。
とってもいいお産で、一人目もおしかで出産してくださった方なので勝手知ったる何とやらという感じで、私もオトメちゃんの準備と同時進行で入院中のお世話をさせていただきました。
その方が25日に退院されて、しばらくお産がない日々に突入です。
26日朝早く、オトメちゃんイモちゃん私の3人+オトメちゃんの新生活道具を乗せた私の愛車ラウムは、東名高速を走り首都高を抜けとある地方の大学所在地に向かって5時間の長旅に出ました。
帰宅は深夜0時。
27日早朝、オトメちゃんは入寮式ということで今度は新幹線でかの地へ・・・
なんていうハードスケジュール。
でも、こんなハチャメチャなやり方我が家ではいつものことなんです。

さてさて、この時・・・我が家ではもうひと波乱待ちうけていたんです。
長くなってしまったので、続きはまた書きますね。

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